こんにちは。 山師です。
卒業式シーズンがやってきて、街にはスーツ姿や袴姿の大学卒業生とおぼしき人々が増えてきました。
彼らは一体、卒業後にどのような進路をとることになったのでしょうか? 就職はするのでしょうか?
現在の日本においては、大学の学士課程を修了した多くの人は、新卒として企業その他の職場に所属しはじめます。 彼らは世間から「まともに」「就職」したとみなされます。
一部の、特に理系の学生は、大学院に進学します。 彼らもまた、多くの場合は修士課程を修了してすぐに企業や公共団体での労働を開始します。 やはり世間からは「まともに」「就職」したとみなされます。
しかし、私は現在、大学院の博士課程に在籍しています。 世間からの目はいささか冷たく、「まともに」の部分も「就職」の部分も満足していないとみなされているようです。
では、なぜ私はそのような、「まともに」でもなければ「就職」でもない選択をしたのでしょうか? 理由は自分でもはっきりとはわかりませんが、その核となる原体験は修士卒での就活に求められるような気がします。
そこで、この記事では、私の修士卒での就活について振り返って書こうと思います。 一言で言えば、これは私の失敗の記録です。 したがって、就活のアドバイスには到底ならないと思いますが、どうかお付き合いください。
前史 – 学士・修士課程
私が就活を始めるに至った経緯については、学部時代に遡ります。
学部4年の私は、何事に対しても考えることから逃げていました。 興味のある物理学の道に進んだとはいえ、もともと数学や物理が得意なわけでもなかったので、講義や演習はほとんど理解不能でした。 卒業単位を何が何でも揃えることが最大の目標となったとき、私は思考を放棄しはじめました。 すなわち、難しい問題に対しては考えるのをやめ、簡単な問題だけ解いて単位を取るという、落ちこぼれの常套手段です。
それを繰り返すうち、思考のくせが無意識のうちに染み付いてしまったのでしょう、物理学以外の難しい問題からも目を背けるようになっていきました。 自分のやりたいことが何か考えるのをやめる (実力がないから何を考えても無駄だ) 、あるいは将来の進路について考えるのをやめる (将来など所詮わからない) 。 一日の講義が終わると、あらゆることに対して思考を続ける優秀な同期たちを尻目に、落ちこぼれは逃げるように講義室を去ったのでした。
あらゆる問題から目を背け続けた私は、ついには自分が落ちこぼれであるという現実からも目を背けるようになっていきました。 肥大化する自意識とのギャップは日に日に大きくなり、自意識を保護することが学科での振る舞いの指導原理となっていきました。 例えば、これみよがしに高くて分厚い教科書を買ったことを自慢する (10ページも読んでいないのに) とか、全くわからない難解な数式を前にさも理解したような演技をする (小声でうんうんと言いながら首を縦にふる) 。 もっとも、同期はみな聡明でしたから、この山師という人物が中身空っぽの醜い落ちこぼれであることは見通していたでしょう。
肥大化した自意識を放置したまま修士課程に進学した私に危機が訪れるまで、そう長い時間はかかりませんでした。 学部までの勉強とは異なり、大学院での研究は答えのない、難しい問題の連続です。 実際、私は難問から逃げ続け、研究は遅々として進まず、毎週のミーティングで指導教官から叱られ続け、気づけば自宅の布団から一歩も外に出られないようになっていました。 大学院での研究生活は、自らが所詮落ちこぼれに過ぎないという現実を認識させ、自意識の中に築かれていた空想上の楽園を崩壊させるに至りました。
自らの無能力を証明し続ける研究生活からドロップアウトして、少しでも自尊心を回復したいという願望と、自らの真の価値に合わせて一刻も早く自分を「安売り」しなければならないという強迫観念とが手を結んだ結果、私は就職活動を始めました。
就活 – 偽りの自己を演じる
就活を始めたとは言っても、前述のように消極的な理由からだったので、やる気はほとんどありませんでした。 むしろ、このまま研究を諦めて良いだろうか、「安売り」して良いだろうかという迷いを強く感じました。 それでも、就職のためには「御社が第一志望です」と言い続けなければならないのが日本の就活です。
文系就活
まず着手したのは、日本では極めて一般的な就活でした。 すなわち、エントリーシートを書いて目当ての会社に提出し、何回かの面接を経て採用内定というやつです。 就活イベントや会社説明会に何度か足を運び、(やる気がなかったので) 2社だけ選んで書類を提出しました。
1社目は大手メーカーでした。 全国に巨大な工場を数多く抱える大企業でしたが、正直就職先に選びたいとは思いませんでした。 面接も受けましたが、あっさりとサイレントお祈りとなりました。
2社目はインフラ系の会社でした。 こちらも全国にネットワークのある大企業で、少し憧れを抱いていた企業でもありました。 1次面接では「なぜ研究を続けるのではなく就職を選んだのか?」と問われ、その場では適当に返答しましたが、2次面接で同じ質問をされたときに、迷いが生じてうまく答えが出てきませんでした。 結果は当然のようにお祈りとなりました。 しかし、社員の雰囲気や就活生への対応 (交通費支給、粗品進呈) は印象が良く、落ちたけれども良い会社だと思っています。
就活エージェント
世の中には、就活エージェントというサービスが存在します。 これは、就活生に募集中の企業を斡旋したり、エントリーシートの添削や面接対策などを行ってくれたりするサービスです。 ただし、紹介される企業はほとんどが知名度の低い中小企業で、人気とされる大企業などはほとんど入ってこないようです (サービスにもよるとは思いますが) 。
就活エージェントからは2社ほど紹介を受けました。 1社は化学系のメーカーで、なぜ斡旋されたのか不思議なほど私の専門とは畑違いのポストでした。 当然お祈りです。 もう1社は電子機器メーカーで、内定は出たものの、どうしても会社の将来性に希望が持てずに辞退しました。 ここでも、就活に対する自分の迷いが出たように思います。
アウトロー就活
世の中では、就活に疲れ果てた人々を主な対象に、アウトローな就活イベントが開催されています (「就活アウトロー採用」で検索してみよう) 。 これは、迷える若者たちを集めて交流してもらい、自分のキャリアを考える機会を提供し、企業とマッチングさせようとする企画です。 特筆すべきは、エントリーシートや面接が一切ないことです。
怖いもの見たさから、私もアウトロー就活に参加しました。 内容の詳細は敢えて伏せますが、同年代の人々と交流ができる非常に良い機会だったと思います。 世界には多様な背景を持つ人々、また自分と同じ悩みを抱える人々が存在することを認識できました。 結果として内定は得られませんでしたが、楽しい経験でした。 これについては別の機会に詳しく書こうと思います。
結局、何を得たか
就職活動の目的である採用内定の確保という点で言えば、一連の就活によって得られたものは何もありませんでした。 辞退を含めれば完全に無い内定です。 原因としては、迷いややる気のなさもさることながら、共に就活する同志がおらず、情報収集やコネ作りに支障をきたしたことが挙げられます。 そもそもOB訪問とかリクルーターとかいう概念すら知りませんでした。
一方、就活を通じて、自尊心はある程度回復したように思います。 それも、かつてのような現実と乖離した自尊心ではなく、自分と他人は違うのだという意味での自尊心だと捉えています。 というのも、周りの就活生はほとんどが文系出身で、理系でも物理学専攻の人は滅多にいなかったのです。 また、エントリーシートを何回も書き直したのも有効でした。 「あなたの研究は何ですか?」という質問に対する準備が、他ならぬ自分の研究とは何かを定義することであったからです。
結局、自分には (落ちこぼれの) 物理学しか無いのだ、しかしそれで良いのだと、少し納得することができました。