既約テンソル演算子とウィグナー・エッカルトの定理

こんにちは。 山師です。

今回も物理学の備忘録を書きたいと思います。 今回は、既約テンソル演算子とウィグナー・エッカルトの定理 (Wigner-Eckart Theorem) についてです。 これらの概念については、J. J. サクライ[1]サクライ『現代の量子力学』第3章やメシア[2]メシア『量子力学』第13章などの本に詳しく書いてあります。 なお、以下では \(\vec{J}\) を角運動量演算子とします。

$$ \def\bra#1{\mathinner{\left\langle{#1}\right|}} \def\ket#1{\mathinner{\left|{#1}\right\rangle}} \def\braket#1#2{\mathinner{\left\langle{#1}\middle|#2\right\rangle}} \def\brabraketket#1#2#3{\mathinner{\left\langle{#1}||{#2}||{#3}\right\rangle}} $$

モチベーション

ウィグナー・エッカルトの定理 (Wigner-Eckart Theorem) は、原子物理学でもっとも著名な定理として知られています[3]私の主観を含む。。 まずは、ウィグナー・エッカルトの定理が適用できる状況を仮定して、その有用性を考えてみましょう。

原子物理学ではしばしば、光の吸収や放出を伴う状態変化を取り扱います。 $$\bra{\tau J M} \left( \vec{\alpha} \cdot \vec{\epsilon} \right) e^{-i \vec{k} \cdot \vec{r}} \ket{\tau’ J’ M’}$$ ここで、\((J, M)\) は全角運動量、\(\vec{\alpha}\) はディラックの\(\alpha\)行列、\(\vec{\epsilon}\) は偏光ベクトルです。 この行列は \((2J+1)(2J’+1)\) 個の要素を持ちますが、\(J\) が大きくなると要素数が多くなり、計算は大変になってきます。

そこで、天下り式ですが、行列要素がクレプシュ・ゴルダン係数 (Clebsch-Gordan coefficients) で展開できると考えてみましょう。 $$\bra{\tau J M} \left( \vec{\alpha} \cdot \vec{\epsilon} \right) e^{-i \vec{k} \cdot \vec{r}} \ket{\tau’ J’ M’} = C_{kq}(\tau J M; \tau’ J’ M’) \braket{J’ M’ k q}{J M}$$ \(C_{kq}(…)\) (\(k = 0, 1, 2, …\) かつ \(q = -k, -k+1, …, k\)) というのは展開の係数です。 行列要素を求めるためには、\(C_{kq}\) をすべて求めれば良いわけですが、実は \(C_{kq}\) は \(M\) と \(M’\) には依存しないことが知られています。 これがウィグナー・エッカルトの定理の最も重要な部分です。 これにより、\(M\)や\(M’\)についての計算を省略することができます。

このような展開が可能である (ウィグナー・エッカルトの定理が適用できる) ためには、ブラケットに挟まれる演算子が既約テンソル演算子である必要があります。 以下では、まず既約テンソル演算子とは何かを定義した上で、ウィグナー・エッカルトの定理とは何かについて書きたいと思います。

既約テンソル演算子とは何か

既約テンソル演算子 (irreducible tensor operator) は、角運動量演算子との関係が深い概念です。 既約テンソル演算子は、角運動量との交換関係から定義されます[4]「回転によって互いに線形に変換される演算子の組」(メシア『量子力学』) という定義もある。。 この定義のもとで、スカラーを0階の既約テンソル演算子、ベクトルを1階の既約テンソル演算子として定めることができます。

定義

既約テンソル演算子を次のように定義します。 \(k\)を0以上の整数としたとき、\(k\)階の既約テンソル演算子とは、\(2k+1\) 個の演算子 \(T_{kq}\) (\(q = -k, -k+1, …, k\)) の集まりであって、交換関係 $$\begin{cases}[J_z, T_{kq}] &= \hbar q T_{kq} \\ [J_{\pm}, T_{kq}] &= \hbar \sqrt{k(k+1) – q(q \pm 1)} T_{kq \pm 1}\end{cases}$$ を満たすものをいいます[5]この定義は、Budker、Kimball、DeMille『Atomic Physics』による。。 ただし、\(J_\pm = J_x \pm i J_y\) は昇降演算子です。

実例

定義だけを書いてみてもなんだかよくわかりません。 実例を少し挙げてみましょう。

回転対称な系のハミルトニアン \(H\) は、0階の既約テンソル演算子です。 なぜならば、そのような \(H\) は角運動量演算子と可換だからです。 $$\begin{cases} [J_z, H] &= 0 \\ [J_\pm, H] &= 0 \end{cases}$$ このような0階のテンソルをスカラーと呼びます。

角運動量演算子から1階の既約テンソル演算子を作ることができます。 具体的には、次のように演算子を定義し直します。 $$\begin{cases} J_{1} &= – \frac{J_x + i J_y}{\sqrt{2}} \\ J_{0} &= J_z \\ J_{-1} &= \frac{J_x – i J_y}{\sqrt{2}} \end{cases}$$ すると、\(J_q\) は \(k=1\) としたときの交換関係を満たします。 したがって、\({J_q}\) は1階の既約テンソル演算子とみなすことができます。 このような1階のテンソルをベクトルと呼びます。

ウィグナー・エッカルトの定理

あらためて、ウィグナー・エッカルトの定理をきちんと述べましょう。 既約テンソル演算子 \(T_{kq}\) があったとき、その角運動量についての行列要素は、クレプシュ・ゴルダン係数とある定数とを用いて、次のように表すことができます。 $$\bra{\tau J M} T_{kq} \ket{\tau’ J’ M’} = \frac{1}{\sqrt{2J+1}} \brabraketket{\tau J}{T_k}{\tau’ J’} \braket{J’ M’ k q}{J M}$$ ここで、\(\brabraketket{\tau J}{T_k}{\tau’ J’}\) は縮約行列要素 (reduced matrix element) と呼ばれる定数です。 縮約行列要素は、\(M\)、\(M’\)、\(q\)には依存しません。

証明はここでは省略します。 詳しくは、サクライ[6]サクライ『現代の量子力学』第3章とかメシア[7]メシア『量子力学』第13章を参照してください。

まとめ

この記事では、既約テンソル演算子の定義を述べ、実例をあげた上で、ウィグナー・エッカルトの定理を説明しました。 ウィグナー・エッカルトの定理の実用例は、また別の記事に書きたいと思います。

2022年6月追記 : ウィグナー・エッカルトの定理の証明を書きました。

脚注

脚注
1, 6 サクライ『現代の量子力学』第3章
2, 7 メシア『量子力学』第13章
3 私の主観を含む。
4 「回転によって互いに線形に変換される演算子の組」(メシア『量子力学』) という定義もある。
5 この定義は、Budker、Kimball、DeMille『Atomic Physics』による。

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